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大事なもの [雑感]

本日とても難しい現場をなんとか問題なく終わらせることができました。ただ、達成感は全くなくむしろ虚しさが残りました。


マラソンの現場は一瞬がすべてです。失敗したらそれですべて終わりです。だからこそ思いつめるものがあります。自分自身に対する負荷もさながら協力いただくスタッフに対しての負荷も当然増します。今日の仕事に対する私自身の負荷はどうやら大きかったようです。レース中吐き気がとまりませんでした。その分スタッフへの負荷も強めてしまい、配慮を欠き、人としての優しさすらなくなりただ仕事の鬼と化しました。


今日は業務としては100点、人としては0点だったと思います。


自分への不可が大きいときそれに比例して人間としての本質が現れるような気がします。私がまさにそれです。


大事なのは心。心が大事。


コクリコ坂から を見て [雑感]

昨日映画館にコクリコ坂からを観に行きました。1週間前にも同映画を観ましたが胸いっぱいになりその感動が薄れる前にもう一度観てみたかったのです。


その映画を見た後に自分は1960年代にいるべき人間なのでは、またはその時代を生きた人間なのではという錯覚におちいりました。コクリコ坂からは1963年の横浜が舞台となっています。私が生まれたのは1976年。生まれてもいない時代の背景を描写した映画を非常に懐かしく、また切なく感じました。


コクリコ坂からは手島葵さんの歌声とともにあります。手島葵さんの歌声がコクリコ坂からのストーリーに非常に切なくマッチし私は恥ずかしげもなく号泣しました(昨日)。以前ゲド戦記のときのテーマソング「テルーの唄」ではあまりにも手島葵さんの歌声が衝撃的で個人的な感想として映画の内容より印象が強く残ってしまった気がします。コクリコ坂からは観て、感じて、聴いて、が自然と心にしみわたりました。


今日は映画館で購入したコクリコ坂からの歌集を聴きながら余韻に浸っています。でもやっぱりアニメーションと切り離してしまうと私の想像力不足のせいで歌が先行してしまいちょっと違う感じで歌が聞こえてきます。


DVDが出たら親や年配の先輩方にプレゼントをしてみたいと思っています。同じように感動してくれたらうれしいなあ(^v^)

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記念日 [雑感]


8月1日に打合せに参加。帰りに次の打合せについて日程を決める際にこんな会話をしました。


「次の現場の視察はいつにしましょうか?15日の週であればおよそ大丈夫です。」

「15日はお盆だしあと終戦記念だから・・・、17日にしましょう。」


はっ、としました。15日は終戦記念日。


6日は広島に、9日は長崎に原子力爆弾が投下された日です。ちなみに私の誕生日も8月9日。小さな頃に親から「お前は長崎原爆で亡くなられた人の生まれ変わりだよ」と冗談で言われたことがあります。しかし冗談とわかりながらも私には誕生日とは別に特別な日だという思いを小さいながらに感じました。「それなら僕の肌の湿疹は過去の名残かもね」


8月15日に打合せをいれることは全く問題ありません。ただ自分の中で15日という日が過去に日本において特別な日であったこと、戦争という悲惨な争いがようやく終わったという大事な日であったことをうっかり忘れて話をしていたことをとても情けなく思いました。


戦争は紙面や映像でしかみたことがありません。それでも2度と起きてはならないことだと心底思います。過去(ご先祖様)があって今の自分が生かされているという意識をもっと強く持って生きていかねばいけないなと思います。平和ボケして終戦日を忘れている場合ではありませんでした。


同じ過ち(失敗?)を繰り返さないように皆で健全に自然とともに楽しく生きていきたいなあ。


弱虚弱体質? [雑感]

今日もいつもの旧江戸川河川敷コースをジョギング。夕食後のランニングだったのでスピードはゆっくりで気持ちよく走れました。夜は割りと涼しめで多くのジョガーやウォーキングをする人がいるので、なんとなく安心です。


最近蒸し暑さのせいかあせもみたいのが体に出てしまい、汗をかきたくない状況でした。今日は若干調子がよさそうだったので軽めに走れました。


小さな頃からなんとなく気付いていましたが私は弱虚弱体質なのかもしれません。いろいろな外的要因に敏感に反応してしまい、よく病院通いをしていました(今もかな(-_-;))。アトピー、鼻炎、風邪(体調不良)、怪我。なんでもありです。以前は体質改善にやっきになり改善されないときは自暴時期になったこともありました。今となってはそんな体質と上手に付き合っていくことを優先的に考えるようにしています。完全に体質をかえることは現状では難しいと思います。だから現状を変えるのではなくまずはなんとなくごまかしごまかしやっていくことが人生を楽しく生きていく一つの方法だと感じています。


もしかしたらマラソンは唯一自分の中で体質改善の努力なのかもしれません。結果はどうなるかはわかりませんが楽しみながら体力もついて更に体質改善がされればこの上はありません^^;


私にできること [雑感]

3月26-27日にかけて自転車(マウンテンバイク)で葛西大磯間の往復移動にチャレンジしてみて、色々と自分の中で被災者の方々に自分にできることはなにかと考えが次々とめぐっていきました。


当初は避難している家族に会いに行くということが目的で、普通に電車で戻るのも面白くないと思い予定も入っていなかったので、運動がてらに自転車での移動に挑戦してみようと思ったのがきっかけでした。出発してから少しすると東京の街中でもいたるところで壁の補修工事や立ち入り禁止などの看板を目にし、これも震災の影響なのかなと思いました。震災以来自分にできることはなにかと時折考えていました。募金、節電、買い占めしない、などできることはやってきました。ただ、まだ自分としてはしっくりこない部分があり、普段の生活の中でまだなにかできると感じていました。そういったこともあり、今回の移動距離に際して公共交通機関の交通費分を義援金として使わせていただこうという考えにたどり着き、目的地にむかう勇気も出てきました。これが背伸びせず今の自分にできることと思い、また今後も別の機会でもどんどん実行していこうと、往路出発後数時間の時点ではそう意気込んでいました。


ただ今回の往復路総移動距離は180~190km程。多少運動体力はあると自負はしていましたが、トレーニングをしていない一般人の私にとって後半からは正直ただつらいだけでした。


ただつらいだけ。痛み、体力の消耗、そして寒さ。つらいだけ。だから自宅に戻ってこれたときほっとしました。ちゃんと戻ってこれたと。つらかったけど戻ってこれた。


移動の後半辺りからつらいという思いと同時にひしひしと感じるものがありました。電車のありがたみ、自動車のありがたみを。これほど便利なものをつくってくれた社会にありがたみを肌で感じました。自転車での往復移動時間は約15時間。レース用の自転車ではないのでさほど速くはありませんがペース的にはがんばったほうだと思っています(ちなみに今回の自転車移動に関し、1.歩行者優先、2.安全第一、をモットーとして取り組みました。ロードレーサーのような走りはできないのでかなり歩道も走らせてもらいました。)。それでも電車や自動車には到底かないません。今回は時間的な余裕があったので挑戦することができましたが、通勤や通学としてこの距離を自転車で移動することは不可能です。電車や車はそれを可能にしてくれました。とても便利でまた画期的でした。


今回の震災で電車が膨大な電気量を使用するということをあらためて認識しました。自動車も電気がなければ造ることもできません。今後自動車業界では主となっていくであろうの電気自動車であればなおさら電気の使用量は増えていくはずです。


原子力発電所は便利で画期的な社会を造るために必要な電気量を補うため大きなお手伝いをしてくれていました。今回震災により原発は手に負えないほどのダメージを受けそして今もなお社会に害を撒き散らしています。これから当然原発廃止の方向に日本は流れていくのだと感じていますし私も原発廃止には賛成です。ただし原発の非難は絶対しません、というか非難できません。私は完全に便利で画期的な社会に甘えていた人間ですから。


一刻も早く原発事故の収束を切に願っています。そして今後これまでより少し便利ではなく画期的な社会でなくても、安全で健全な社会になるよう協力していきたいと思っています。ちょとした体力勝負の時代、ちょいガテン系の時代でもいいのかもしれません(笑)。一駅分走る、一バス停分歩く、などで大分変わると思います。


◎今回の自転車での移動距離 約190km。移動交通費往復分 1690円×2=3380円。まだがんばれそうです。

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※自転車で移動中に桜が咲いているのを見つけました

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